明治時代後期に建設された日光物産商会は、日光金谷ホテル(現存する日本最古のリゾートホテル)の土産品店として創業し、当初は伝統工芸の日光彫や木工品、漆器等の製造・販売・輸出を手がけていました。
昭和3年に日光金谷ホテルから独立し、株式会社日光物産商会を設立。その後は土産物販売・飲食専業となりましたが、日光金谷ホテルのキッチンで宿泊客のために焼いていたパンが次第に評判となったため、これを外販するにあたり最初のショップを建物の一角にオープンし、金谷ホテルベーカリー神橋店として金谷ホテル伝統の味をさらに広める先がけとなりました。
昭和60年以降には店舗を改装し、1階に「そば処神橋庵」、2階に「カフェ&レストラン匠」を設けました。その後は東武日光駅前に「金谷ホテルベーカリー東武日光駅前店
」を、また霧降高原の麓に小さなホテル「リゾートイン霧降プラザ」を展開しています。
日光物産商会の本館は国の登録有形文化財に指定されており、日光らしい街並や景観づくりの一翼を担っています。
1871年(明治4年)のこと、ヘボン式ローマ字綴りでその名を今に残すアメリカ人宣教医ヘボン博士が日光の地を訪れました。しかし外国人を泊めてくれる宿がなく、困っていたところ、東照宮の楽人金谷善一郎が自宅へ招じ入れて宿を提供しました。大層感激したヘボン博士は、今後日光を訪れる外国人は増加の一途を辿る。ぜひ外国人相手の宿泊施設を作るようにと善一郎に進言し、居留していた横浜へ帰りました。善一郎はこの言葉を受けて民宿創業を決意し、四軒町(現在の本町)の自宅を改造して、1873年(明治6年)6月にカナヤ カッテイジ・インを開業しました。これが金谷ホテルの始まりです。
平成8年10月1日に施行された文化財保護法の一部を改正する法律によって,保存及び活用についての措置が特に必要とされる文化財建造物を,文部科学大臣が文化財登録原簿に登録する「文化財登録制度」が導入されました。
この登録制度は,近年の国土開発や都市計画の進展,生活様式の変化等により,社会的評価を受けるまもなく消滅の危機に晒されている多種多様かつ大量の近代等の文化財建造物を後世に幅広く継承していくために作られたものです。届出制と指導・助言等を基本とする緩やかな保護措置を講じるもので,従来の指定制度(重要なものを厳選し,許可制等の強い規制と手厚い保護を行うもの)を補完するものです。
古河合名鉱業(現在の古河電気工業)と日光町が合弁で、明治41年4月7日に日光停車場〜馬返間に電車による旅客貨物運輸営業の特許を得、同年秋に日光電気軌道株式会社を設立、明治43年8月10日に部分開業、大正2年10月15日には全線で開業している。日光東照宮・二荒山神社等の観光地や古河精銅所からの貨物輸送を抱え順調に年を重ねていた所、東武鉄道が日光を目指して鉄路を延長する一方この日光電気軌道を手中に収め東武の系列に加えられた。昭和4年4月10日東武鉄道のレールが日光に到達し、昭和7年11月31日やはり東武傘下にあった日光自動車と合併、日光自動車電車株式会社に社名変更した。戦時中には日光登山鉄道株式会社とも合併され日光軌道株式会社と再び社名変更され終戦を迎え、昭和22年6月1日その軌道部門が東武鉄道と合併された。昭和20年代には新車導入等の設備投資が行われたが自動車時代が到来し交通量が増加、さらに第一・第二いろは坂の開通により自家用車・バスが中禅寺湖方面に直通可能となり古河関連の貨物輸送がトラックに切り替えられたこともあって、昭和43年2月25日全線が廃止された。
明治40年ごろの日光物産商会隣の坂道の風景
明治後期
日光物産商会の一階内部
明治後期
明治後期の日光物産商会の写真
明治2年頃の神橋と日光橋
明治38年創業の土産店の老舗。このほど国の登録文化財の指定を受けました。
最初は日光金谷ホテルの出店として出発。日光彫りの製造&販売を手がけていました。今日では日光の特産品はもちろんのこと、金谷ホテルベーカリーのパン&クッキース等の販売、「そば処神橋庵」及び「カフェ&レストラン匠」を営業。
日光金谷ホテルの歴史に裏付けられた「新しい伝統」を創りだしていく・・・。
金谷ホテルベーカリーでは、130 年間脈々と受け継がれてきた伝統の製法を守りつつ、積み重ねられた経験と実績をもとに新しい伝統をお客様に提案していきます。それはまさに果敢なパイオニア精神と、最高のものを求め続け、西洋の文化を積極的に取り入れた金谷ホテルの歴史のごとく・・・。
また、食品企業として食品の衛生、安全性を考えた品質管理を金谷ホテルベーカリーは何よりも大切にし、出来る限り最高の鮮度をお届けする為に急速冷凍して全国にお届けいたします。常にクオリティの向上にむけ日々追究する為に。
これからも私たちは、豊かな自然そして名水の地「日光」において、歴史ある「金谷ホテル伝統」の味をお届けしてまいります。
金谷善一郎が1873(明治6)年に現在の日光金谷ホテルの前身となるカナヤ カッテージ・インを開業してから2003年で130周年を迎えました。
明治初期の日光にあっては西洋文化に関する情報がほとんどなく、善一郎と従業員らは宿泊する外国人客そのひとたちから情報を得ながら手探りで食事を作り、増加の一途を辿る外国人客の接遇につとめました。
二代目金谷眞一は積極的に海外を視察して西洋文化の吸収につとめ、パン食と西洋料理に欠かせない乳製品を自給するための牛舎の設営、全館スチーム暖房の設備、自家発電所の建設、県庁よりも早かった栃木県内で最初の電話開設などなど、常に時代の先端を行く技術を取り入れながら、世界に通用するホスピタリティをもったホテルを日光の地に作り上げました。
従業員もひたすらホテル運営のために心を尽くし、ある者はフロントや食堂で接客に、ある者は客室のハウスキーピングや施設・設備のメンテナンスに、そして料理場の担当者達は製パン・調理に職人魂を注ぎ、一心においしいパンと西洋料理を追求し続けました。
異文化を排除するのではなく受け入れて理解しようとつとめるとともに、その中でも最高を求め続けた人々の心。ここから今に続く金谷ホテルのパンや料理が生まれ、そして何よりお客様の信頼が確立されたのです。
霧降プラザは自然がいっぱいのリゾート地、日光霧降高原の閑静な別荘地にあります。リゾート気分をたっぷりと味わえ、温泉でゆったりくつろぎ、おいしい食事が堪能でき心身ともにリフレッシュしていただけます。日光連山の四季折々の眺望と風情が楽しめ、訪れるごとにその景色を変えてくれます。東照宮やテーマパーク、スポーツ施設などのアクセスもよく、日光探勝の拠点として是非ご利用下さい。
弥生祭の前に春のにぎわいを作り出す「日光鉢石宿のおひなさま」が3月3まで開催されます。このイベントは、日光街道の最終宿場町だった鉢石宿のにぎわいを取り戻そうと、昨年から始められました。
JR日光駅から西参道までの通り沿いの商店や個人宅約150軒にひな人形を飾り、観光客をもてなします。おひなさまは年代物から新しいもの、オリジナルなものまでさまざまです。目印になるよう杉の枝や案内板を設置します。
店のシンボル
登録文化財
駐車場は大型バス6台、乗用車10台の駐車可
つい最近まで使われていたレジスター
館内案内
日光物産商会
館内案内
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