日光物産商会からのお知らせ

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2018年01月27日

金谷カテッジイン/金谷ホテルの開業を支えた人々

金谷カテッジイン/金谷ホテルの開業を支えた人々 明治の初期、外国人専用の宿泊施設を作ることは並大抵のことではありませんでした。当時の日本人には外国人に対する深い偏見があり、外国語や異国文化を簡単に受け入れられる環境ではなかったはずです。そのような中、進取の気性に富む善一郎にホテルの開業を勧めたのがヘボン博士でした。英語も話さず、海外にも行ったことのない善一郎が「金谷カテッジイン」を開業し、軌道に乗せることができた背景には善一郎を力強く支えた人々がいました。
小林年保 1848 ? 1895
ヘボン博士は自分の友人、知人に「金谷カテッジイン」を推薦、博士の薦めで訪れたイザベラ・バードは著書「日本奥地紀行」の中で善一郎や金谷カテッジインについて好意的な感想を述べ、世界的に発信しました。家族のサポートも重要でした。特に善一郎の姉、申橋(金谷)せんは弟の仕事を影でしっかりと支えました。彼女の温和な性格と美しい立ち居振る舞いは多くの宿泊客に好感をもたれました。
また、ホテル開業には多額の資金が必要でしたが、日光の資産家である小林年保が善一郎に多大な融資をして「金谷ホテル」の開業を可能にしました。言葉や西洋文化の理解を助けたのは、アメリカでホテル業を学び帰国後に金谷カテッジインの通訳兼支配人となった坂巻正太郎でした。
小林家は1700年代より歴代日光奉行所の同心を勤めた幕臣の家柄。戊辰戦争後、徳川慶喜に従って日光から静岡県駿河に移住。1879年(明12)第三十五国立銀行(現静岡銀行)の頭取となる。1889年(明22)日光に小林銀行を開業。多大な融資で金谷善一郎のホテル開業を支援した。息子文雄は申橋せんの三女保子と結婚。

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